
四世代にわたって伝えられた技術と歴史は、すでに確立されたひとつのファッションである。
「タニノ・クリスチー」の出発は、1800年代後半のこと。現在の社長の曾祖父にあたるタニノ・クリスチーが、ミラノ市内に小さな店を構え、ミラノの貴族たちの乗馬用ブーツや靴をすべて手で作り、「靴づくりの名人」と言われたことに始まる。
後にタニノ・クリスチー社のシンボルマークとなった乗馬の絵が入った木の表札がその店の看板だった。
タニノ・クリスチーにとって一番大切なことは、靴の履き心地の良さだった。
「履き心地のよい靴は足を入れた瞬間にすぐわかる」と口癖のように言い続けていた。
靴の縫い目は丁寧に、踏みつけ部分のバランスを大切に、踏まずアーチは念入りに、細心の注意を払ってつくり上げ、更に最高の材料だけを使用することによって、「タニノ・クリスチー」の靴は完成された。
初代タニノ・クリスチーの息子アルフォンソ・クリスチーは、新しい技術を習得するため渡米。
そして1919年、イタリアに戻り、ミラノから約60キロ南西の町のカステジョに生産工場を設立した。
その息子、タニノ・クリスチーは、自社製品の小売業を見事に成功させた。1960年、ミラノのモンテナポレオーネ通りに初の直営店をオープン。消費者に喜ばれる商品をつくるためには、直営店を通じてじかに接触することが大切だと考えたからだ。
現在、ミラノ、ローマ、フィレンチェ、パリ、ニューヨーク、東京、大阪に直営店を展開している。
現在も、1800年代から培ってきた技術を忠実に生かし、機械化しながらも手づくりの良さを大切に守り続けている。設立当時の従業員数わずか十数人から、現在では150人、日産300足の靴を生産している。