MANOLO BLAHNIK

30年以上のキャリアを経て、マノロブラニクは、世界で最も影響力のあるデザイナーとなった。

1942年にスペイン領カナリア諸島に生まれ、チェコ人の父とスペイン人の母を持つ。文学とアートをジュネーブで学び、1965年にパリへと移住し、デザイナーになることを決意する。1970年ニューヨークを訪れた際に、アメリカ版ヴォーグのチーフエディターであったダイアナヴリーランドに彼の作品を見せると、靴づくりに集中するように励まされた。

ブラニクは、工場を訪れ、機会のオペレーター、パタンナー、技術者と話すことで、靴づくりの芸術を学んでいった。1971年までには、ロンドンで靴づくりをしていた。1年後には、当時ロンドンで最も有名なデザイナーであったオジー・クラークがブラニクの靴を使い、彼のキャリアが花開いた。1973年には、最初の店を、ロンドンのチェルシーにオープン。

ブラニクは職人である。絶妙にシェイプされたラストとヒールは、いまだに彼自身の手で仕上げられる。
「靴は女性を変える手伝いができる」と彼は語る。

ロンドンの旗艦店から、マノロブラニクブランドは世界に拡大していった。アメリカ、イギリス、スペインで、数々の賞を受賞。最近では、ソフィアコッポラ監督の「マリーアントワネット」の靴を手がけ、アカデミー賞のベストコスチューム賞を受賞。